2023年7月号
製造業復活を掛けた米国の挑戦: 新たな地域ハブ「バッテリーベルト」の誕生

シリコンバレーレポート

 生成AIの急速な立ち上げの一方で、米国は着々と製造業の復活に向けた取り組みを進めている。米国連邦政府は、電気自動車(EV)と環境技術を重点に、数千億円に上る膨大な補助金を提供する新しい政策を制定した。この政策により、日本の自動車会社を含む世界中の製造業者が米国に工場を移転させる動きが広がっている。地方自治体も企業の誘致や、製造拠点の立ち上げに力を入れており、米国内での新しい製造ハブ形成に積極的に取り組んでいる。大きな課題の一つが労働者不足で、デジタル世代のZ世代やティーンエージャーに製造業の魅力を理解してもらい、将来の労働者として製造業界に関心を持ってもらうことが重要となっている。そのため、製造企業と教育機関が協力して、様々な計画が進行中である。

バッテリーベルト

 米国中西部から北東部の工業地帯はラストベルト(さびついた工業地帯)とも呼ばれ、グローバル化による競争力の低下から、鉄鋼や石炭、自動車などの主要製造業が衰退した。米国の製造業復活へ向け、EVのバッテリーや次世代のクライメートテック技術に必要な装置、部品の製造を担う、新しい工業地帯が誕生している。この地域は、米国南東部のミシガン州からジョージア州に広がり、新たな地域ハブが形成されつつあり、「バッテリーベルト」と呼ばれている。

バッテリーベルト

図1 バッテリーベルト:バッテリー製造の南東部への集中 (米国エネルギー省資料より抜粋)

製造業への支援政策の強化

 昨年法制化されたバイデン大統領のインフレ抑制法は、連邦割引の対象となるためにEVのバッテリーの少なくとも50%を米国で製造することを求めている。例えば、米国で生産された電池セル1個につき、米国政府がキロワット時(kWh)当たり35ドルの税額控除を提供する。これは、今日のバッテリーセルの平均製造コストの 35% に相当する。

 フォード社はケンタッキー州に建設中の二つの工場に対して30億ドルの減税が受けられる可能性があり、年間86ギガワット時相当の電池を生産できるようになる[i](米国国税局の精査が必要)。さらに、米国で生産されたバッテリーモジュール(バッテリーパック内に収まるセルのグループ)に対する税額控除もある。
ブルームバーグNEFによると、このクレジットは1kWhあたり10ドルで、EV用バッテリーパックの組み立てコストの約3分の1を大幅に削減することになるという。EVを製造するための工場の改修に20億ドルの補助金や、新しい工場の建設に最大200億ドルの融資も用意されている。

 自動車業界はすでにここ数年、北米全土の新しいEVと電池の製造施設に数十億ドル(数千億円)を注ぎ込んでいる。新たなサプライチェーンの確立も重要である。
新法では、米国で生産されるEV製造に必要な鉱物、材料に対して10% の税額控除が受けられるようにした。リチウム電池のリサイクルベンチャー等がこの分野でしのぎを削っている。

[i] https://www.axios.com/2022/08/17/electric-cars-vehicles-batteries-battery-belt-biden

人材不足問題

 現在、米国の労働力に占める製造業の割合はわずか 8% 程度であり、1990 年代初頭の半分となっている。製造業で中国と競争するには、より多くの熟練労働者が必要となる。工場を誘致したい州政府、地方自治体では、学校との協力、大手製造企業との緊密なパートナーシップ等、様々な取組みが試行されている。バッテリーベルトの各州では、労働者の採用・訓練のために教育に重点を置いた計画が進行中だ。

専門学校と企業の連携

 バッテリーベルトの中心的な州であるテネシー州には2017年以来、EV関連で二兆円ほどの資金が流入している。テネシー州では公立の専門学校であるTCAT(Tennessee College of Applied Technology:テネシー応用技術大学)が人材育成面で重要な役割を果たしている。
自動車技術、メカトロニクス、産業用電気関連技術、溶接、CAD、デジタルデザイン等のプログラムが用意されており、現場での実技研修の機会もある。州内に27のTCATが存在し、約 34,000 人の生徒が在籍する。高校新卒、高齢者は授業料が免除される。
実業界のニーズに応えるため、企業との連携にも熱心で、2017 年には日産自動車とパートナーシップを組み、約45百万ドルの予算で、最新の設備を持つテクニカル・トレーニング・センターをオープンした[i]。TCATの学生とともに日産の社員のスキルとキャリアアップに役立てる。

 フォードは、 テネシーで巨大なバッテリーと自動車製造キャンパスを作る計画で、完成すれば同社の最大のキャンパスとなる[ii]。TCATと共同で、フォードのニーズにカスタマイズされたプログラムを作る計画だ。

図2. TCATと日産による新キャンパス(TCATのWEBより抜粋)

 Bloombergの最近のレポートによると[i]、TCATの学生にとっての魅力として、学校を卒業するとすぐに給与が得られる実践的な技能を身につけられる点が挙げられている。就職率は100%という。就職や給与アップといった実利面以外でも、自動車が好き、機械を触るのが好きで来たという学生もおり、老若男女が集う。高校や別の大学に通っていても並行してTCATのコースを受講することができるように制度設計されている。掛け持ち型の学生数は2016年以降約3倍に増加しており、テネシー州は低年齢層への拡大を進め、最近、中学3年生と高校1年生の入学を承認したと報じられている。さらには、幼稚園からの動機づけが必要だと指摘する州の教育関係者もいるという。

[i] https://www.bloomberg.com/features/2023-tennessee-ev-investment-education/

[i] https://tcatmurfreesboro.edu/business-industry/smyrna-campus-and-nissan-training-center

[ii] https://corporate.ford.com/operations/blue-oval-city/tennessee.html

州が運営する職業訓練プログラム“クイック・スタート”

 バッテリーベルトのもう一つの主要な州であるジョージア州では、同州が運営する職業訓練プログラムであるジョージア・クイックスタートが人材育成の鍵となっている。
クイックスタートは同州がEV自動車、バッテリー、ソーラー等の大手企業から数千億円に上る投資を受けた主な理由とも言われている。クイックスタートは企業向けにカスタマイズされた職業訓練を無料で提供しており、全米でも評価が高い。  

 EVメーカーのリビアンはジョージア州にEV工場設立に約6千5百億円を投資、7千5百人を雇用、現代自動車は約7千億円を投資、8千百人を雇用する計画で、他にもSKバッテリーアメリカ、Qcell等が工場を新設する予定である。Qcellの人事担当者によれば、クイックスタートは、同社の米国工場向けのトレーニング資料を提供してくれた。この支援により、同社は工場の立ち上げに必要なプログラムやビデオトレーニングを自ら作成するのに何千時間も投資する必要がなくなった、と述べている[i]。クイックスタートの提供したトレーニング資料によって、効率的に工場の運営を開始することができたようだ。SKバッテリーの関係者も、ジョージア州を選んだ大きな理由はクイックスタート・プログラムで、普通の人を即戦略に育てる術を知っている、と述べている。

 クイックスタートの成功の要因の一つは、 個々の会社の製造プロセスの詳細を深く調査して、各社にカスタマイズしたプログラムを作ることである。例えば、SKバッテリーの場合、クックスタートのインストラクター達が韓国まで飛んで、製造プロセスを実際に見て、その後数ヶ月をかけて訓練プログラムを作成した。クイックスタートには75名のスタッフがいる。成功の要因の2番目は、クイックスタートのキャンパスには自動ロボット、センサー、産業用コンピュータシステム等の最新の製造装置が用意されており、実践的な訓練を受けられる点である。また、技能だけでなく、シックスシグマといったデータ型プロセス改良の方法や、米国とは異なる職場環境やコミュニケーション・スタイルといった異文化への適応、リーダーシップなど、ソフトスキルを学ぶ機会も提供される。最後に、クイックスタートは国主導でなく、州が主導のため、プロセスが少なく動きが早い、というメリットも指摘されている。

[i] https://www.canarymedia.com/articles/clean-energy-jobs/this-georgia-program-is-training-a-huge-cleantech-manufacturing-workforce

製造業復活に舵を切るアメリカ

 地方自治体は電気自動車産業や関連産業の立地を促進し、新しい雇用機会の創出と地域経済の活性化を目指している。EV製造企業だけでなく、部品メーカーから研究開発等の高収入の仕事に至るまで、新しい電化時代の経済活動チェーン全体を取り込むことで、持続可能な未来への道を切り拓き、地域の産業基盤を強化する。米国は数十年にわたる産業空洞化に終止符を打つべく動き出した。

著者

川口 洋二氏

Delta Pacific Partners CEO。米国ベンチャーキャピタルの共同創業者兼ジェネラル・パートナー、日本と米国のクロスボーダーの事業開発を支援する会社の共同創業兼CEOなど、24年に渡るシリコンバレーでの経歴。NTT入社。スタンフォード大学ビジネススクールMBA。

お役立ち資料

DXの終焉と 新たな破壊サイクルAXの始まり
(アーカイブ配信)

資料をダウンロード(無料)